【推しらせです。】

好きなものを、好きなだけ、好きと叫べ!!!!!!!

20190109

 

こんにちは、りくです。

 

 

私には、アイドルファンを始めてからずっと、答えがでなかったことがあります。

 

「私は何を求めてファンをしているのか。」

もやもやとした、答えの出ない違和感を抱えてずっと過ごしてきました。

 

 

 

基本的に私はアホです。浮かれポンチです。お調子者です。

それでもたまに、深く考え込んでしまうときがあります。

 

 

 

すごく冷たいことを口にしてしまうようですが、

自担も推しも、言ってしまえば他人です。

血の繋がりはないです。

 

知り合いでもないです。

ましてや、友達でもない。

 

向こうは私のことを知らない。

 

なぜ、そんな相手をこんなにも夢中になって追いかけるのか。

 

 

 

 

「好きだから」

きっと、そう言ってしまえばその疑問には方がつく。

でも、それではあまりにも曖昧なまとめ方だなと思っていた。

 

 

 

 

一人目の人を追いかけ始めた時の私は、小学生だった。

その時の気持ちは、恋愛感情に似た感情だっと思う。

「恋愛対象的な憧れとして好き」「だから見ていたい。」

小学生が高校生に憧れる、、、その気持ちがどんどんと変化して行った。

 

二人目の人を追いかけ始めた時は、憧れでした。

「こう言う人に、私もなりたい」と思い、彼を見つつ、

「凄いな。」「素敵だな。」と思うところは真似をした。

 

 

 

けれど、ずっと疑問だった。

好きだったら、ただ何もしないで、好きでいればいいじゃないか。

 

CDを買って、雑誌を買って、コンサートツアーに行って、

舞台に行って、テレビを見て……なんでその行動をする?

 

 

なぜ、決して安くはないお金をこうも賭けたいと思う?

 

 

「相手のことを知りたいから」

いやまぁ、そうなんだけど……それだけではないよね?

 

 

 

 

 

 

 

言ってしまえば、CDがオリコン何位を取ろうが、雑誌に載ろうが、

コンサートをしようが、何万人動員しようが、テレビに出ようが、

それは私ではない。

 

自担、推しと言う、他人がしていること。

 

なぜにそこに、こんなにも気持ちを突き動かされて、

一緒になって「嬉しい」「楽しい」と思い、

時に「ありがとう」と思うんだろう。

 

 

 

答えの出ないまま、20年近くが過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

そんな中での、去年の、夏の、とある日。

 

推しのお母さんの誕生日だと言うその日。

推しのTwitterのリプ欄にはお母さんに宛てた、

誕生日を祝うファンからのコメントで溢れていた。

そのコメントをお母さんに見せたと言う、推しのツイート。

そこには、お母さんからの言葉が添えられていた。

「これからも、息子の夢を一緒に観てあげてください。」

 

 

あっ…それだ…と、納得した。

 

 

私は、憧れた人の夢を一緒に観ていたいんだ。

 

 

 

アホだし、バカだから、ずっと分からかなかった。

「なんでこんなにも違和感あんねやろ。」ってずっと思っていた。

 

 

推しが見る夢を、一緒になって観ていたい。

 

 

だから、何か叶ったことがあると、まるで自分のことのように嬉しいんだ。

 

 

 

 

誰かの夢に自分の夢を重ねること。

誰かの夢が自分の夢になること。

 

もちろん、私にも私の夢はある。

それとはまた別な、大切な誰かの、夢。

 

 

 

20年かかってやっと、その答えに行き着きました。

 

 

 

推しのお母さん、ありがとうございます。

(あー、なんかこの言葉、くすぐったいな。)