【推しらせです。】

好きなものを、好きなだけ、好きと叫べ!!!!!!!

20190319

 

こんにちは、りくです。

 

数ヶ月前、人生で初めて追いかけたアイドルグループが活動休止を宣言しました。

 

先日、その、人生で初めて追いかけたアイドルグループの20周年記念

コンサートツアーの追加公演。チケット当選の知らせを受けました。

 

 

あの人たちを追いかけた始めた日から、20年。

今思えばあっと言う間で、それでいて、とっても長い月日でした。

 

 

 

16歳~18歳だった彼らは、今や40歳目前です。

ランドセルを背負っていた私は、成人して随分と経ちました。

 

 

彼らの結成を朝のワイドショー番組で見たことを、

今でもぼんやりと覚えています。

ハワイでのデビュー会見。3人は知っていた。2人は知らなかった。

学校に着くなり、友人に「○○くん、デビューだって!!」と駆け寄った。

その日から、私の”誰かを本気で追いかける日々”が始まりました。

 

CDショップに行き、まだ当時6cmだったCDを買った。

学校の休憩時間にファンレターを書いた。

彼らが掲載されている雑誌を買った。

 

コンサートがあると知ったものの、田舎者で幼かった私には

手を出すことができなかった。

コンサートビデオを少しずつ集めた。デビュー前のものからこつこつと。

 

ファンクラブができると知って、夕御飯の家族勢ぞろいの場で

「ファンクラブができました。入らせて欲しい。」

と父に直談判をした。

 

全国ツアーで近くの街に来ることを知ると、

「コンサートに行かせてほしい。」

と父に頼むと

「コンサートに行かせるのは、一生に一度だけ。

 今回行かせたらもう二度と行かせない。それでもいいか?」

と言われた。

「それでもいいから行かせてほしい。」

とお願いをした。

 

つい先日、その話を父にしたところ

「そんなこと言ったか?覚えていない。

 コンサートに行くことが癖にならないように、厳しく行ったんじゃないか?」

と笑われた。

 

 

初めて申し込んだチケット。初めて当選したチケット。

しかし、当選した公演は、公演2週間ほど前に起きた地震により

会場が壊れ使用不可になり公演中止となった。

その知らせを受けたのは、事務所からの一通のはがきでした。

 

そのはがきを見て泣き、父に伝えると

父がはがきを持ち、近くのコンビニに駆け込んでくれた。

そのはがきには、

「近隣の○○公演と○○公演のチケットなら、今からでも買える。」

「チケットはコンビニの端末機から購入できる。」

と書いてあった。

 

しかし、18年も前の話。

まだコンビニの端末機が普及しておらず、店員に聞いても

「そんな有名グループのチケットがこんな端末で買える訳がない。」

と一蹴されてしまったそう。

それでも、「届いたはがきに書いてある。」と言う父に根負けした店員が

他店舗に連絡をしてくれ、「端末機から買える。」と言われ無事チケットを

購入することができた。

 

一度は行くことができなくなったコンサート。

しかし、父とコンビニの店員さんたちのおかげで再び手にできたチケット

 

久しぶりにその時、中止になった公演のチケットを見た。

参加できなかった、半券の切れていないコンサートチケット。

「全席指定¥5000(税込)」

と明記されていた。

「今のほぼ半額じゃないの。」

なんて懐かしくて笑ってしまった。

 

 

 

初めて参加したコンサート。

きっと、最初は座席に組み込まれていなかったであろうスタンド席。

中止公演からの客を入れるために、仮設で作られたのだと思う。

 

暗転からのオープニング。

5つ空いた穴からポップアップで出てきた彼らは、後ろ姿だった。

今でもその後ろ姿をしっかりと覚えている。

 

白い、ふわふわの衣装を身に纏った、5人の姿を。

 

 

 

父が「一生に一度しか行かせない。」と言ったコンサートは、

同行した母の「楽しかったね!また行こうね!」と言う言葉で

あえなく覆され、その後、家族旅行はコンサートの日程に合わせるようになった。

 

夏の全国ツアーは、隣県の体育館で。

冬のアリーナツアーは、逆方向の隣県のホールへ。

 

父の運転で行ったり、母と高速バスで向かったり。

同級生や、同級生のお母さんも加わって一緒に参加したこともあった。

 

やがて、6年が経過し、彼らがドーム公演をするようになると

「お母さんはドームはいいやぁ。」と、母が参加しなくなった。

 

友人とコンサートに行くようになった。

 

徐々に活動範囲が広がり、札幌公演に参加したこともあった。

最初は母と一緒に慣れない中、隣県の公演に参加していたのに、

遠く離れた北海道の地まで彼らを追いかけるようになっていた。

 

 

 

 

 

CDが売れなかった。

ランキングが上がらなかった。

なかなかテレビ番組に出演できなかった。

 

テレビに出演しても、発言できなかった。

前に出れなかった。

 

コンサートのMCがまわせなかった。

何を話していいのかわからなかった。

 

「自分たちらしさとは何なのか」

「自分たちが前に進むには何をすればいいのか」

毎晩集まって話し合ってたこともあった。

 

 

 

 

テレビに出させてもらえるようになった。

少しずつ、話せるようになった。

 

「誰かが話しだした時は、誰かが退いてサポートにまわる」

グループのバランスが取れてきた。

 

試行錯誤しながらも、自分たちのやりたいことが見えてきた。

 

グループ名が浸透してきた。

個人名を知ってもらえるようになった。

 

「おもしろいね。」と言ってもらえるようになった。

 

曲を歌わせてもらえる場が増えた。

曲を知ってもらえるようになった。

 

CDを買ってもらえるようになった。

ランキング上位を取れるようになってきた。

 

県民会館やホールをまわっていたコンサートツアーの中に、

ドーム公演が組み込まれるようになった。

5大ドーム公演をさせてもらえるようになった。

 

 

国立競技場でコンサートをすることができた。

 

 

以前は、県民会館やホールだったコンサートツアー。

今や、5大ドームが常で。

そんな中で、アリーナツアーができた。

「おかえり」と、言うと

「ただいま」と、返ってきた。

 

 

 

 

初めて追いかけたアイドルは、今となっては、あの頃は想像もつかないほど

大きなグループになりました。

私が必死で追いかけていた頃は、「なんでこのグループが好きなの?」って

散々聞かれたなぁ。それでも「大好きだから」必死で追いかけていた。

 

 

彼らを追いかけ始めた日から20年。

私は結成から12年目で彼らから離れてしまったけれど、それでも消すことの

できなかったファンクラブ名義。

「いつかまた行けたら。」と言う願いと、何よりも、初めて持ったファンクラブ

名義・ファンクラブナンバーを消すことができなかった。

No.1から届き続けているファンクラブ会報は、今や何冊あるのか分からない。

 

 

そんな中聞かされた、活動休止の話。

 

驚いた。驚いて、ショックで、自室に戻ると泣いた。

信じられなかった。

「彼らにはきっと、何もないだろう。」

と勝手に信じ込んでいたし、そうであってほしいと願っていたから。

 

以前から、「ファンはアイドルに”一生アイドルでいてほしい”とは言えない。」

と思っている。アイドルであっても、それはそのひとの人生だから。

その人生をどう生きるのか、決めるのは本人であってほしい。

一生に一度しかない人生。ファンと言う立場で「一生アイドルで」とは

言えないと思っている。

それでも、やっぱり、「一生このままでいてほしい」と願っていた。

 

 

活動休止の発表会見を見、泣くでもなく、まっすぐ前を見据えた彼らの姿に、

そんな場でも、笑いも交え場を和ませる姿に、

「あぁ、私が好きだった頃と何も変わっていない。」

と思えた。

 

活動休止は、あるメンバーの「”自分は”グループ活動を休みたい。」と

言う願いからでしたが、「誰かが休むのであれば、全員で休む」

「誰かが抜けた僕らは、僕らじゃない。」

そう言った彼らに、彼ららしさを見た。

 

 

 

 

数年ぶりに手にした、彼らのコンサートチケット。

活動休止の日までは、まだ1年以上ある。

活動休止発表から間も空けず、「復活はある。」とメンバーが名言した。

 

「ありがとう」と伝えるのは、まだ早いかなって思っている。

 

まずは、「20周年おめでとう」の気持ちを。

そして、そっと、「またね」って伝えてこようと思う。

 

「またね」と言うにも、まだまだ早すぎるのだけれど、

これは気持ちを込めているようで込めていない「またね」だから。

 

「また明日!」と同じくらいフランクに。

「また会う日まで!」って。

「どうせまた会うんだから!」って少し、皮肉っぽく。

そう笑顔で伝えてこようと思います。

 

 

 

振り返って見れば、20年。

時間って経過するものですね。

 

人生で初めて本気で追いかけた人たちが、

あなたたちでよかった。

 

「久しぶり!」と、会う日まで、あと数ヶ月。