【推しらせです。】

好きなものを、好きなだけ、好きと叫べ!!!!!!!

踏ん張る

 

こんばんは、りくです。

ただ今、真夜中2時です。丑三つ時です。

そんな時間に落ち着かず、起きてしまっています。

このままベットに入っても寝れそうもないので、こんな時間だからこそ

話せることを書かせて頂こうと思います。

 

 

コロナウイルスが蔓延して数ヶ月が経過しました。

ひとつのウイルスでここまで生活が変わってしまうものなのかと驚いています。

 

まず私がウイルスの影響を感じたのは、「行こう。」と思っていたライブ

公演の開催が危ぶまれたとき。ウイルスでの公演中止が危惧されたのは

初めてでした。

公演中止・延期・そして中止となったものもあります。

それが現実となった頃、「○月の舞台は大丈夫でしょう。」と何の根拠も

なかったけれど、数ヶ月先の公演は開催されると信じて疑わなかった。

信じた…と言うよりも、中止となると思っていなかったんです。

数ヶ月経過してもなお、ウイルスが猛威を奮っているだなんて考えも

しなかった。

その数ヵ月後の今、観劇する予定だった舞台の中止を告知されました。

 

 

その次に打撃を受けたのは、職場。私の職場もウイルスの影響を受けてます。

分かりやすく人員削減があり、一覧からひとの名前が一気に消えた。

けれど、それでも自分が残して頂いている方だったことで、少しずつ

じわりじわりと滲み寄ってくるその影響力を、それほど大きくは

心配していなかった。

けれど、それはある日突然、どかん!と大きな衝撃を与えた。

何度かの衝撃のあと、大打撃とも言える言葉を上司の口から聞いた。

「そうですか。わかりました。」と返事をするのがやっとだった。

あぁ、私の身にもついに起きてしまったんだと思った。

その言葉を聞いたのは、買い出しの出かけ先ででした。職場から入っていた

着信に気づき、慌ててかけ直し、告げられた。上司との通話を切ったあと、

地面に足がついていないような、現実か夢かわからないようなふわふわした

感覚の中、帰宅した。それでも、胸の中に大きな不安だけが確かに居座っていた。

 

 

コロナウイルス

半年前までは存在を知らなかった未知のウイルス。

そのものひとつで、現実が一変した。

 

 

どうしたってぬぐいきれない不安。

 

これから先、私はいつ趣味の観劇を現実に体験できるのだろうか。

手元にあったチケットの公演は全て、中止・予定不明の延期となりました。

一抹の不安なのが、”地方民の自分がいつ公演開催場所に行けるようになるのか”。

公演が開催されるとして、その公演開催場所から遠く離れた場所に住んでいる

自分が、その場所まで向かってもいいものなのか、葛藤している。

「県をまたぐ移動はなるべくしないでほしい」

休業要請が解除されてまだ日が浅く、「ひとが動くと第二波がくる」とも

言われている中で、自分が行きたい・見たいと言う気持ちだけで県境を越え

地方すらも越えてその場所に行ってもいいものなのか。

もし行くと予定したのであれば、公演の何ヶ月も前から動き出さなきゃいけない。

公共交通機関の確保・ホテルの予約、早ければ早いほど安いのだ。

日が迫れば迫るほど高くなり、その値段は私では手が出せないほど高額になる。

そもそも、公共交通機関がどの程度の割合で動いているのか。

「様子を見て…。」ができないのが地方ファンの痛手である。

…今、私は数ヵ月後自分が動くことが是か非かが判断できないでいます。

 

そして、職場。

じわりじわりと影響は受けていたものの、それでもありがたいことに忙しかった。

先月は今の職場に来て初めて、7連勤を体験した。

「仕事に出して頂けるのがありがたいので。」と、食らいついて過ごした7日間

でした。そんな日の最中、その生活ががらりと変わることを知った。

それだけでは終わらず、その先も更に生活が変わることを上司との電話で知りました。

…正直、何をしたらいいのかも分からなかった。今動くことが得策なのかどうか。

自分の職場が来月どうなっているのか、再来月どうなっているのか。正しいことは

誰にもわからず、ただひたすらに「こうなんじゃない?」と予想・予測の中で

考えることしかできなかった。

右往左往することすらもできなかった。かと言って立ち止まっていても、なんだか

落ち着かず、気持ちがはやる中、ただただ時間だけが過ぎて行った。

…給料はどうなる?いくらもらえる?今より下がるの?今でも十分少ないよ。

「もらえるだけ良いじゃないの。」と言われたこともあったけれど、それでも

私にも生活がある。生活を賄えるだけの給料がほしい。そして、あわよくば

趣味にまわせるだけの余力もほしい。…それが手に入っていたんだ、ほんの少し

前までは。

 

 

けれど、こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、

コロナが蔓延したからこそ気づけたものもある。

 

コロナ蔓延後「助けて。」と誰かを頼ることが多かった。

そんな時に何時間も話を聞いてくれる友人がいてくれたり、解決しなければ

いけない問題には打開策を見出してくれたり、「こうしてほしい。」と

お願いすると「貴方も大変だから。」と承諾してくれたり。

「あなたが居てくれて助かった。」「いつも助けられてる。」と言って

もらうこともあって、その行動ひとつ、言葉ひとつにすごく救われ支えられてます。

職場の上司は、中間の立場にありながらも守ろうとしてくれる。

友人は、こんな私を見放さずそばに居て声をかけてくれる。

家族は、先行きどうなるか分からない私を支えようとしてくれる。

今回のコロナで生活は一変してしまったけれど、あたたかいひとたちに囲まれて

いると言うことに気づけたこと、それを直に感じることができたことは

しんどい最中に置いてすごくありがたく嬉しい出来事です。

 

「ごめんなさい。」「ありがとう。」をいつになくたくさん口にした数ヵ月。

「迷惑かけてごめんね。」と言うと「迷惑だなんて思ってないけど。」と

返ってきた、その優しさとあたたかさに心から「ありがとう。」と思った。

 

 

これから先のことを考えるとどうしたって不安が大きい。

まだまだこれからもっと生活が変わってしまうのかもしれない。

それを自分の力でどうこうできる部分とできない部分があって、

どうしても敵わないことはある。むしろその部分が多いのだと思う。

それでも、この世の中で生きていて、生き抜いていかなきゃいけない。

 

今、自分にできること。

任せられた仕事をきっちりと、今まで通り、一生懸命に従事する。

周りのひとを大切に、頼った分は頼られた時に倍返し。繋がりに感謝する。

そして、何よりも、笑っていること。楽しむこと。

こんな時だからこそ…こんな時じゃなくても、いつだって。

自分の人生のかけがえのない一秒・一瞬を楽しんで生きていきたい。

 

 

とりあえず深呼吸。そのあとに一休み。

肩や肘に入れた力を一度抜いて。

 

無責任な言葉だけれど、「大丈夫。」だから。

そして、「踏ん張って」生きましょう。

 

 

大丈夫 

踏ん張る

 

まずは、それを続けていこうと思っています。

 

(とくに何って無い文章でごめんなさい。真夜中の感情垂れ流しでした。)